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御法川法男
きっこ経由で。
まとめて観るとひどさ際立つみのもんた。私はこの時間、首藤奈知子を観ておりますが。別にファンではないけれど。

お笑いみのもんた劇場
みのもんたリミックス
みのもんた - Google Video

ー☆ー

全然関係ないけど。
・まばたき王子慎ちゃん
Nintendo Wii vs Sony PS3(英語は分かんないけど何となく分かる気がする)
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キャッチ!してみた
ルー語変換
うんこれは面白い。

つーことでプリンスのワイフのブログを勝手にキャッチ!してみた。
http://e8y.net/labs/lou_trans/?url=http%3A%2F%2Fakie-abe.jp%2F

あたらしい憲法のはなし」もキャッチ!してみた。長文は読むのが疲れるネ。

「文部科学大臣からのお願い」(その1その2)もキャッチ!

羽柴語録」もキャッチ!する。ちょっとカッコいい。

唯一神をキャッチ!したら地獄の火の中に投げ込まれそうなのでやめとく。

もう飽きた。
子供マシン
英BBCでも報道されちゃってる模様。コチラ経由で知る。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/6306685.stm(魚拓)
英語の分からぬ私はエキサイト翻訳してみた。
子供マシンと呼ばれる日本の女性

日本の治療省トップは女性を地方の政治集会へのスピーチにおける「子供を生むマシン」に差し向けました。

柳澤伯夫は、日本の急に下がっている出生率の、そして、急速に年をとった人口を打ち返すために子供を生むために女性が最善をつくすように求めました。

「私たちが求めることができるすべては子供を生むマシンと装置の数が固定されているので彼らがヘッド単位で最善をつくすことです。」と、彼は言いました。
年間約70億円という破格の生活保護をお受けあそばされている然る高貴な御一家にはもはや「マシン」としての存在理由がない“生殖能力を失っても生きてる無駄で罪な女性”がふたりおりますけれども(まだひとりだけか?)。

それはともかく、内向きな国家であるとはいえど、閣僚の発言は海を越えて報道されるという程度の想像力すらないのが日本の政治屋。
ひと昔前なら金、女、暴言とすべてそろった安倍晋三内閣はとっくにふっ飛んでいるはずなんだけど。おかしいなァ、まだ半数の国民から支持を得ているんだから。

教育再生会議第1次報告には「4、あらゆる手だてを総動員し、魅力的で尊敬できる先生を育てる──(3)不適格教員は教壇に立たせない。」とある。これは阿呆丸出しの代議士「先生」にも適用すべきだろう。子どもの教育によろしくないダメ議員には退場していただくのだ。
となると、真っ先に退場するのは慢性的へなちょこ型下痢ピー炎の安倍晋三か。
信じる者は救われる
納豆事件(事件か?)が波紋を広げている模様。どちら様もおつかれちゃん。
元々「あるある」だの「おもいっきり」だのといった番組はまったく観ない聞かない信じない私にとってはどーでもよい狂乱ぶりなのだが、それっ! と納豆を買い漁っていた善良なる市民らは大層ご立腹らしい。
“納豆狂想曲”県内でも/あるある“大事件”視聴者怒り
 人気番組の影響で、納豆になじみが薄かった県内でも「納豆狂想曲」が繰り広げられていた。スーパーの店頭では陳列棚が空になり、メーカーも「生産が追いつかない」と悲鳴を上げた。二十日発覚した人気番組「発掘!あるある大事典II」による納豆ダイエットの実験データでっち上げに、消費者やスーパーは「振り回された」と憮然とした様子だった。
(1月21日『沖縄タイムス』朝刊)
そうか、沖縄人も納豆を食うのだな、と妙に感心。
「あるある」捏造問題 怒りと戸惑い長野県内でも
 「あの『あるある』がうそをついていた。それが一番ショック」。長野市中御所の生鮮市場JC長野中央店を訪れた市内の幼稚園教諭女性(32)は動揺を隠さない。放映翌日は職場でいつも話題に上る人気番組。取り上げられた健康食品を購入することも多かった。
 同店は少しでも需要に応えようと、1週間ほど前から納豆売り場に大豆と納豆の作り方レシピを置いた。店長は「いつも買っているのに買えなかったお客さんのことを考えると怒りがわく」。来店者からは「捏造してまで視聴率がほしいのか」(45歳主婦)との批判や、「氷山の一角かもしれない。消費者も踊らされない注意が必要だ」(30代主婦)との受け止めもあった。
(1月22日『信濃毎日新聞』)
元来が偏屈な信州人も見事に“乗せられた”模様。
潮丸もだまされた!場所中納豆40パック…初場所千秋楽
西前頭15枚目の潮丸(28)=東関=が納豆ショックに打ち勝った。潮丸は初日(7日)に放送されたフジテレビ系「発掘!あるある大事典2」の納豆ダイエットを信用。千秋楽まで40パックを食べたが、内容がウソだったことが発覚し激怒。岩木山(30)=境川=を破り幕内で自己最多タイの9勝を挙げたが、最後まで表情は晴れなかった。三賞は12勝を挙げた西前頭9枚目の豊ノ島(23)=時津風=が敢闘、技能のダブル受賞を達成した。
 自己最多タイの幕内9勝を挙げた潮丸がうなだれた。「ショックですよ。あれ、詐欺ですよ。もう毎日食べるのはやめます」
 食べ方は付属のタレとからしを入れ、きざんだネギと混ぜ、ご飯にかける。「1日3パック食べたこともありますよ。体重を減らす目的というよりは、代謝が良くなったり、血液中の有害物質を壊す効果があるとか言ってたので、それを信じてたんです」と、潮丸。夜、外食する前にも納豆を食べた。なくなれば補充する形で、千秋楽まで14日間で約40パックを消費した。「金返してほしいぐらいです。ま、2000円くらいですけどね」と、笑うしかない。
 「オレの体重(165キロ)は変わってません。女性の人とか本気で減量しようとした人はもっとショックでしょうね」。支度部屋では栃乃洋など関取衆にも納豆効果を広めていた。立場もない。「効果で動きが良かったと思ったけど、気持ちの問題、自己満足だったんですね。格好悪いっす」と自ちょう気味に話したが、9勝は間違いなく自分の力でつかんだものだ。
(1月22日06時05分/スポーツ報知)
潮丸は「体重を減らす目的というよりは、代謝が良くなったり、血液中の有害物質を壊す効果があるとか言ってたので、それを信じてた」のだそうで、「効果で動きが良かったと思ったけど、気持ちの問題、自己満足だった」のなら金返せと云うこともなかろう。

健康によい、ダイエットに効くといった情報には大した疑いもなく飛びつくってのはどーなのよと思うのだが、「異常プリオンに驚きのダイエット効果!」とか「狂牛肉エキス入りサプリであなたも美肌に!」といった初めからオイオイと思える情報ですらそのまま信じる者はいると思う。いや結構いると思う。
吉野家やDHCが試してみたら面白い。日米政府も大喜び。
戦中と戦後の間(4)
大マスコミが政府の堤灯記事を乱発するようになったのは朝鮮による日本人拉致問題が大きく取り上げられるようになってからだと思います。拉致問題について大マスコミは腫れ物にでも触るようにとにかく慎重です。「日本が過去に行った侵略行為が遠因にある」とでも書こうものなら一斉に非難の声があがる。
丸山は米のレッドパージ(マッカーシズム)を例に論述しています。
「正統」と「異端」という考え方が社会にまんえんすれば、別に国家権力による直接的弾圧をしないまでも、つまり、憲法の建て前の上では言論・集会・結社の自由がちやんと認められていても、人びとは「赤」や同調者とみられることの恐怖から自発的に触らぬ神にたたりなしという態度をとるようになり、実質的には権力による強制的同質化と同じ結果が出てまいります。自由主義者はデリケートな問題には極力沈黙を守るようになり、さらに次の段階には、「沈黙の自由」もなくなつて、大声をあげて俺は反共だと怒鳴らないと完全には安全ではない、ということになる。(545~546頁)
(註:本書で強調点がつけられているところは太字に変えた)
「民主主義」と「言論の自由」は対になっているはずですが、権力に対してもっとも辛辣に批評すべきであるべきはずの大マスコミは「自由を守るために自由を制限する」(548頁)という保身に大きく傾いています(広告主への「配慮」もあるのでしょうが)。ただこうした大マスコミの姿勢は柳を幽霊と見て恐れているごときではないでしょうか。少なくとも私には、大マスコミが恐れている実体がよく分からない。なぜか。そこには「日本人の政治意識」が特徴として表れているのかも知れません。
国家が戦争した以上戦争に協力するのが当然だという考え方が、未だに深く我々の道徳観念になつているということである。戦争をするのが正しいかどうかという価値(正・不正)の判断を国家──つまり具体的には政府にあずけていると言える。ヨーロッパ社会のように conscientious objector(自己の良心が許さぬという理由で兵役に服さぬ人)が一般社会の通念になつていない。即ち良心的反対者を社会がみとめていないということである。シナ(ママ)の儒教思想にはまだしも価値が権力から分離して存在している。即ち君主は有徳者でなければならないという所謂徳治主義の考え方で、ここから、暴君は討伐してもかまわぬという易姓革命の思想が出て来る。ところが日本の場合には君、君たらずとも臣、臣たらざる可からずというのが臣下の道であつた。そこには客観性的価値の独立性がなかつた。人間の上下関係を規定するところの規範が、客観的な、したがつて誰でも援用できる価値となつていない。親の言葉が子の道理という俗語もその例である。上位者そのものには道理という規範が適用されないのである。恩恵を垂れるということはあつても、これを下から要求することはできない、というのは仁・徳が権威者と合一しているから権威者の思し召し如何ということのみによつているからである。(343~344頁)
(この項、なんとなく続く。)

[ 戦中と戦後の間 ]
丸山真男/みすず書房
戦中と戦後の間(3)
幸いなことに、安倍晋三は「人間を等質的なマスに解体すると同時に、このマスでつくられた社会組織をセメントのように固め」(539頁)るべく大衆を熱狂させる弁術を持ち合わせていません。しかも己の信念を曲げたり覆い隠したりすることをまったく恥じない厚顔ぶりです。
いえ、信念など初めからありませんから、「残業代が出ないから帰宅する時間が早まり、家族の団らんが増え、少子化問題も解決する」とまで云って導入しようとしたホワイトカラーエグゼンプションを、今度は「現段階で国民の理解が得られているとは思わない。働く人たちの理解がなければうまくいかないのだろうと思う」と平気で云ってのける。これを政治判断と云うことも出来るでしょうが、要は己の権力に恋恋としているだけなのですね。

そのような安倍が果たして国家主義体制をつくれるのかどうは甚だ疑問です。しかしながら、経済大国とは名ばかりでその実借金まみれであり国連常任理事国入りに世界からの賛成を得られない現状日本の行き詰まり感から、まだ半数の国民から支持を受けている内閣ならば安倍の“嗅覚”次第でどのように転んでもおかしくはありません。
鬱積した空気が広く漂っています。安倍政権が私の望まぬ国づくりを加速させるか否か。日本は曲がりなりにも民主主義国家であり、現政権への異議申し立ては認められなければなりませんし、積極的な異議を唱えることによってこそ権力に一定の歯止めをかけることができます。
一体、デモクラシーとは、素人が専門家を批判することの必要と意義を認めることの上に成り立っているものです。アリストテレスが、『政治学』の中で、「家の住み心地がいいかどうかを最終的に決めるのは建築技師ではなくてその家に住む人だ」ということを言っていますが、まさにこれが民主主義の根本の建て前です。同じように料理がうまいかどうかを決めるのも、腕自慢のコックではなくて、それを食べるひとです。どんなに最新の技術的知識をふるって作った料理でも、主人やお客さんがまずいといえば、コックはその批判に従わなければなりません。「そんなはずはない。それはあなた方の嗜好のレヴェルが低いからだ」とか、「文句があるならお前が作ってみろ」というような言い分は通りません。デモクラシーもその通りで、政策を立案したり実施したりするのは政治家や官僚でも、その当否を最終的に決めるのは、政策の影響を蒙る一般国民でなければならぬというのが健全なデモクラシーの精神です。政治のことは政治の専門家に任せておけという主張はこの精神と逆行するものですが、とかく近代社会の分業と専門化に伴つて(ママ)こういう考え方が起こり易く、これがファシズムの精神的培養源になるわけです。(552~553頁)
(註:本書で強調点がつけられているところは太字に変えた)
民主主義におけるジャーナリズムとは「政策の影響を蒙る一般国民でなければならぬというのが健全なデモクラシーの精神」を道案内する役割、すなわち権力の監視こそに存在理由があります。ところが、日本の大マスコミは小泉政権以降、堤灯記事が主流となってきました。
(この項、もうちょっと続く。)

[ 戦中と戦後の間 ]
丸山真男/みすず書房
デザイン、気に食わぬ
頼んだデザインがモッサリしていてなんだか田舎臭い。田舎なんだけど。
見せられた瞬間、なんじゃこりゃあ! ひと暴れしてやろうかと思ったけど、怒りをおさえて「え~こんなの?」としか云いませんでした。大人だね。そういう問題じゃない。

もっとグッドなデザイン希望。スーパーのチラシだってもっとおしゃれだっての。一番安い料金だからってんで能力をケチったのかな、デザイナーさんは。

私の場合はケチりますね、金は出さないわ注文ばっかりつけてくるわって客には。ケチな客には文句が出ない程度の仕事しかしなかったりする。「いやぁこんなもんスよぉ。あははのは」って。ごめんねジロー。

注文をつけたらきりがないんだけど、もう少しなんとかならないものか。しかも締め切り間際に持ってきやがって。文句つけたら「印刷が間に合いません」ときたもんだ。どういう会社だよ。
くそー自分でデザインすりゃ良かったよコンチクショウ。
刑務所で暮らす
体感治安が悪化し、刑の厳罰化が叫ばれる中、立ちション程度でも実刑を受けそうな現代の日本。それを逆手に取って、いよいよ困ったら刑務所で仕事(懲役)をしようと思っている私なのでした。
今すぐではなくとも、還暦を過ぎて経済的に苦しいときは迷わず刑務所に入るのが賢い「セカンドライフ」だと思う。もちろん網走番外地のようなところに放り込まれてはかなわないので、より良い刑務所へ入るためには逮捕される地域を吟味しておかなければならない。
私のような輩がいるから体感治安はどんどん悪くなるのかな。

毎日新聞掲載 『厳罰化が背景、根拠薄い「治安悪化」 高齢者増え「福祉施設化」』(女子リベ  安原宏美--編集者のブログ)
クローズアップ岡山:過剰収容進む刑務所、岡山は定員の1.4倍 /岡山(MSN毎日インタラクティブ)
戦中と戦後の間(2)
安倍晋三は「戦後レジームの脱却」を唱えていますが、私のような心配性には、戦後レジームの脱却すなわち“新しい戦前体制をつくる”ことを意味するのではないかと思えてなりません。
しかし現在の日本において戦前を再び迎えるといった心配は杞憂ではないかとの考え方もあるでしょう。かつて日本人を根絶やしにしようとした米とはまずまず良好な関係にある。ですが安倍内閣の政策や閣僚の言動からは新たなる戦前体制づくりのニオイを感じてしまいます。「新たなる」とは申しても登場人物や舞台背景が違うだけで、どうやら“いつか来た道”となるのではないか。

そうした戦前体制づくりの中でもっとも邪魔になるのは自律した市民でありましょう。そうした市民を排斥するためには、より強権をふるう必要があるでしょうし、それと同時に“そうではない市民”を権力の側に迎合させた大衆をつくらねばなりません。そこに見る理想は国家主義=ファッショが究極の形と思われます。

丸山は本書「ファシズムの現代的状況」の中でファシズムを次のように解説しています。
ファシズムは、ある場合には公然たる暴力により、ある場合には議会立法の形を取り、またある場合には教育・宣伝等心理的手段によるなど一切の政治的手段を駆使して、その社会を反革命と戦争の目的のために全面的に組織化しようとする内在的傾向をもつて(ママ)おります。(537頁)
(註:本書で強調点がつけられているところは太字に変えた。以下同)
丸山はこの後ドイツのナチズムを例にあげてさらに説明します。
反対勢力を弾圧したり、言論を抑圧したりするだけなら、古来無数の政治権力がやつて(ママ)来たことで別に珍しくもないのですが、ファシズム的抑圧の特質はどこにあるかというと、第一に、それがなんら積極的な建設や理想目的の達成のための「止むをえぬ害悪」として行われるのではなく、むしろ国内国外の反対勢力の圧服ということ自体が目的化しており、そこから容易にこうした反革命なり戦争なりの組織が組織自体として絶対化されるというニヒリズムが発酵するという点、第二に、その抑圧の仕方が、単に反対勢力をつぶすだけではなく、およそ市民の自発的活動の拠点やとりでとなるグループ結成を妨げ、こうして社会的紐帯からきり離されて類型化されたバラバラな個人を「マス」に再組織するという行き方を多かれ少なかれ取る点、この二点にとくにその顕著な特色が見られるように思います。(538頁)
いつ強行突破されてもおかしくない「共謀罪」「憲法改定」、すでに国家主義の先鞭をつけた「改定教育基本法」、そして「防衛庁『省』格上げ」等々、安倍政権が押し進める戦後レジームの脱却とは、ウーゴ・チャベスの言葉を借りれば「硫黄の臭い」がプンプンしてきます。
(この項、飽きて来たけどまだ続く。)

[ 戦中と戦後の間 ]
丸山真男/みすず書房
戦中と戦後の間(1)
戦中と戦後の間(1)本書を最初に読んだのは私が22歳の別れの頃だった。今はただ5年の月日が長過ぎた春といえるだけですゥ。
本書は丸山真男が発表した論稿を集めたもので、635頁にもおよぶ。その中からいくつかつまみ読みしてみたいと、もやし君は唐突に思うのだっ‥‥た。

かつお風味の本題。
投票を棄権する者はよく「誰に投票しても一緒」と云います。誰(どの候補)に投票しても日本の政治は変わらないのだと。しかしこれはまったくの逆であり、本当は“だれにも投票しないから一緒”なんですね。
公明党をごらんなさい。投票率はどれだけ下がろうとも公認候補の得票率はむしろ上がっています。その“からくり”は云うまでもないでしょう。

本当に「誰に投票しても一緒」だと考えているのであれば、共産党や社民党に投票するのもよいでしょう。どうせ“誰に投票しても一緒”なのですから。
しかし、そんな勇気はないと。おまけに共産党アレルギーがあると。旧社会党には裏切られたと。うーむ、今なら国民新党が狙い目ですかね。
共産党や社民党が与党になったところで今さら共産社会主義になるわけじゃありませんから、一度くらい多数与党にしてもいいかもよ(この2党の連立はむづかしそう)。「誰に投票しても一緒」を実証する意味でも。

選挙で“より良い候補”を選べることなど少ないのが当たり前で、それでも“よりマシな候補”を選ぶのが普通です。もしも自分の選挙区の候補者が東郷健と赤尾敏と又吉イエスしかいなくても、です。
(この項、たぶん続く。)

[ 戦中と戦後の間 ]
丸山真男/みすず書房
隗より始めよ
規律厳守の議員指導、違反たまると除名も 国会で試み

 規律を厳しく守らせる「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)という米国の生徒指導法が全国の議会に広がり始めている。違反が一定回数に達すると除名などの罰を定め、必ず守らせる「ぶれない指導」が特徴だ。厳しい指導が日本の政治風土にどこまでなじむのか。現場を訪ねた。

 衆議院(議員数480人)では毎回、議長が議長席に座って、議員の態度を点検している。違反を見つけると、チケットを渡して注意する。この枚数に応じて、段階的な指導をする。8枚たまると、3日間の議員活動停止だ。

 メールを見つかり、チケットを渡された1年生の議員は「むかつく。小学生だってしてるよ」と怒った。一方、「縛られてる感じはするけど、確かに雰囲気が落ち着いてきた」と話す2年生の議員もいた。

 05年9月に始めるまで、議会には、議員の態度やマナーについての悪評が地域住民からも頻繁に寄せられていた。改憲を視野に入れた愛国教育に力を入れる議員の多くは、当選と同時に資金集めに力を入れる。国民の評判は重視せざるを得なかった。

 チケット制を始めた当初、「うちの代議士だけなぜ」「どうして国会だけこんなに厳しくするんだ」といった苦情が後援会から相次いだ。議長からも「言い返されたときに厳しくしきれるかどうか……」という不安があがった。そこで、後援会とは徹底的に話し合うこと、2人1組で指導することを申し合わせた。

 チケット制の対象はメールや居眠りなど本会議場の態度だけだ。ところが、指導を繰り返すうちに、遅刻や欠席も減ってきた。前年度比で、欠席者数が延べ約200人減った月もあった。河野洋平衆院議長は「議長がはっきり指導でき、自信を持てるようになった。本会議場がまったく違う雰囲気になった」という。

 参議院(議員数242人)は01年から始めた。議場でのメールはレベル2、居眠りはレベル3、発言者への暴言=ヤジはレベル5などと規律違反を5段階に分けた。レベル5は一度でもやれば、辞職勧告か除名となる。

 辞職勧告者は特別教室で自習する。カウンセリングで反省を促し、議場に戻れるよう指導する。参議院242人のうち、導入前の98年度に年間90人いた辞職勧告は、05年度は9人と10分の1に減った。参議院の取り組みは全国からも注目を集め、昨年12月だけで11の地方議会が視察に来た。

 国会議員による政治資金の使途不明の多発を受け、文部科学省は05年からゼロトレランス方式を調査し、昨年5月に報告書をまとめた。場合によっては除名も認める内容だ。森嶋昭伸・指導調査官は「社会の厳罰化が進んでいるのだから、議会でもそれを実感させなければならない」と話す。

 しかし、厳しい指導は万能ではない。ある地方議会では、3年間続けたゼロトレランス方式を昨年3月でやめた。

 交通違反の点数のように、問題行動を重ねると罰則が重くなり、10点分繰り返すと除名にする仕組みだ。暴言や議場を出て歩き回る議員はいなくなった。一方、点数がたまれば、最後の違反が比較的軽いメールでも除名となることには有権者の間で賛否が分かれた。だが、「決めたルールは守る」と除名処分にした議員が何人か出た。

 「もう少しチャンスを与えても良かったのでは」と、揺れる気持ちが有権者たちに生まれた。ある市民オンブズマンは「我々は警察ではない。政策を議論する現場で、機械的な対応で良いのか」と振り返る。

 新たに指導内容を細かく定めた。議員活動停止中は、特別教室で読書をさせたり、毎日書かせた反省日誌を有権者と見ながら話し合ったり。どうすれば立ち直れるかを重視するようになった。

 〈ゼロトレランス〉 米国で90年代後半に広がった生徒指導の方法。直訳すると「寛容度ゼロ」だが、「毅然(きぜん)とした対応」などとも訳される。学校での銃乱射事件などを背景に、クリントン大統領が97年に導入を呼びかけて、法制化する州が相次いだ。重大な違反者には、放校処分やオルタナティブスクール(他の特別な教育施設)への転校も定めている。


asahi.com:規律厳守の生徒指導、違反たまると退学も 高校で試み - 社会
【溶けゆく日本人】携帯の奴隷|生活|生活・健康|Sankei WEB
文部科学大臣へのお願い
文部科学大臣へのお願い未来のない爺たちへ

 弱いたちばの国民から税金をむさぼり取るのは、はずかしいこと。
 仲間といっしょに事務所費を飲み食いに使うのは、ひきょうなこと。
 爺たちは政治家のたちばにあるんだよ。後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっている事務所費の付け替えとか架空の計上をすぐにやめよう。

 ー ー ー

 事務所費で弁当を食べている爺は、けっして一人だけじゃないんだよ。
 佐田玄一郎、中川昭一、松岡利勝、衛藤征士郎、松本剛明、国会や近所の議員、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、高額な事務所費の使い道のことを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが辞職させてくれる。

平成十九年一月十二日

文部科学大臣 伊吹文明殿
憲法改定反対運動案
1)社民共産党議員のブログに「野党共闘のお願いTB又はコメント」をする(直接お願いするのも可)。

2)民主党議員のブログに「次の選挙は『改憲選挙』とならないよう工夫してネTB又はコメント」をする(直接お願いするのも可)。改憲選挙になったら民主党は間違いなく崩れる。

3)ともかく「憲法改『正』」という表現はやめる。

4-イ)日本政府は「外圧」に弱い。Sorry Everybody的海外ブロガーに「日本は9条を棄てて戦争する国家になりますよ。核兵器も作っちゃいますよ」と誇張アリアリで訴え、世界中を巻き込む。

4-ロ)血の気の多い米国人に日本製品不買運動するように促す。

4-ハ)マイケル・ムーアに手紙を書く。

4-ニ)オサマ・ビンラディンに頼んでみる(ナニを?)。

5)かいじん21面相を雇う。アッキーの実家が。

6)ジュリーみたいに原爆をつくる

7)日本でもっともファンキーな主婦河原美代子を参院選で社民党から立候補、当選させ、改憲派議員室前でパフォーマンスをしてもらう。落選した場合は「河原美代子デモ隊」を組織し、首相官邸前でパフォーマンスを毎日する。(てな記事を保坂展人さんにTBしたら翌日にはザックリ削除されていたことがあったなァ。美代子を護憲派に取り込んだらかなりイケると思うのだけれど。)

8)革命を起こす。


一緒に考えてください(Tomorrow is Another Happy)
日本語法
外来語(カタカナ語)を多用することが高級であるかのように錯覚している者は多い。道徳的未熟児であり人間のクズである安倍晋三などはその典型だろう。

文化の最たるもののひとつが「言葉」である。言葉にこそ文化がよく表れている。そもそも日本に生まれ育った日本人(素朴な意味で)ならば普通は日本語で考えているのだからして、「イノベーションとオープンの考え方のもとに」だの「『子育てフレンドリーな社会』を構築する」だの云われたところで、即座にしかも正確な理解ができる日本人は、おそらくいまい。(そもそも文章自体が奇妙であるということは置いておく。)

自国語を駆使せずしてなにが「この国の文化と伝統を尊重」だバカタレが。国語審議会は何をしている。
日本は「フランス語の使用に関する法律(トゥーボン法)」をつくったモナムールの国に倣って「日本語法」を早急に成立させねばならぬ。それこそが「愛国」であり「この国の文化と伝統」の尊重であろう。

新聞もテレビもそして慢性下痢ピー症候群の安倍晋三も、カタカナばっかり使いやがってうんざりなのだ。
ちなみに私は英語アレルギーである。
謹賀新年
謹賀新年シリーズ「美しい国」(9)

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