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私刑国家
〈極悪人→死刑=大団円〉となるほど社会は単純なものではない。目に付いたゴミだけを拾って「うん、綺麗になった」と満足できる無責任な世論と、それを増長させるマスコミ。「私憤」を「公憤」に置きかえる報道のまやかし。

私刑国家元死刑囚宅間某のように「覚悟のうえで起こした事件やから、謝罪はしない。だけど罰は受ける」と確信した者に対して我々は無力である。
ではどうしたらよいのだろうか。ひとつ確かなことは、生まれついての極悪人は存在しないということである。ダミアンじゃあるまいし。

「死刑」と「無期懲役」に差がありすぎるのも問題だし、刑務所における更生プログラムが犯罪者を社会復帰させるに足るものなのかどうか。
「懲役」だけで更生できるはずなど無いと思うのだが〈逮捕=真犯人→監獄〉ですべて解決したような気になってしまうのは近視眼的思考のサボり。

に限って云えば「テレビ慣れしたなぁ」というのが素朴な感想。私には彼の真剣な言葉がアジテーションのようにも聞こえるが、被害者が被告に特別な感情を抱くのは当たり前の話し。だが果たして傍観者がそうだそうだと安易にそれへ乗っかってしまうのはいかがなものか。
罪は罪としてまた別の話し。念のため。
この記事へのコメント
死刑
一世を風靡した、こしゃまくれたギャグマンガのネタにも出てくるほど(ネット社会になってからはなおさら)「死刑」と言う言葉が軽んじて出てくるほどになってしまいました。
また、死刑被告に対する死刑執行に関して「死刑反対」も多々あるためになおさら死刑の意味が形骸化しているようにも思えます。
トラウマになる可能性十分ですが、死刑がどう言う物であるかを、死刑を逃れた服役者に対し、本当の懲役の意味で見せるべきかもしれません。それが、再犯を防ぐとなる、といいんですけど。
Matty| | 2006/06/21(水) 23:39:04
大半は身内を残酷な方法で殺されたことのない人の意見に過ぎない。大切なのは当事者(被害者の遺族)の意見がどこまで行政・司法制度に反映され得るかである。今までは加害者の人権に比べて,あまりにも被害者の遺族の人権が軽視されすぎていた。そういう歴史を踏まえないまま,死刑はよくないだのと言う論調をはられても鼻白む思いをするだけである。
非国民| | 2006/06/22(木) 08:23:46
Mattyさん>
記事の引用になりますが、「『死刑』と『無期懲役』に差がありすぎるのも問題」ですし、「刑務所における更生プログラムが犯罪者を社会復帰させるに足るものなのかどうか 」。ここをよくよく考えなきゃいけないと思うんです。
水瓶座| | 2006/06/22(木) 10:08:16
非国民氏>
被害者(と被害者家族)の人権が軽視されてきたのは事実だがマスコミがそれを増長させてきたこと、そしてマスコミの過剰な取材・報道を無批判に受け入れる傍観者=市民の側も、それが実は被害者の人権を軽視してきたことに手を貸しているという事実を見逃したのではむなしいだけの論となるだろう。

被害当事者の意見を司法に反映させるのはある程度必要だろうが、被害者感情に組みする法律の運用は民主法治国家のすることではない。
水瓶座| | 2006/06/22(木) 10:13:55
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