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イジメについてあれこれ(もういっちょ)
同級生をイジメてなにが悪い、という子はイジメてやったらよい。
ひとを殺してなにが悪い、というやつは殺してやればよい。
抗議の自殺は「焼身自殺」にとどめを刺す。火だるまになって憎いあいつを追い掛け回してやろう。がんばろう。
‥‥てなこと云ったら人非人あつかいされるので云いません。

極論すれば、学校は無くなってもよい。教育基本法を改定したり教員免許に更新制を導入することが教育「改革」だなどと云っているようならば、である。受験対策なら学習塾でこと足りる。
学校は地域社会の核である、と思う。と思うからこそ学校は社会に解放されねばならぬ。学校とは教師と生徒しかいない(あと事務員さん?)非常に閉鎖的な社会である。学校は核家族化しているのである(なんか山谷えり子みたい)。

およそ社会というものは老若男女入り乱れくんずほぐれつしてこそ社会としての体を成す。地域のオトナが好きなときに授業参観できるようにしたらどうか。教室は余っているのだから校内に老人ホーム(デイサービス)を設置したらどうか。障害児童を“隔離”せずに普通の学校(言葉悪くて失礼)に通わせたらどうか、同じ組はむづかしいとしても。
親と教師と同級生しか「ひと」を知らないのでは、子どもの社会は広がらない。云い換えれば、コアなエロビデオと美少女フィギュアでしかオンナを知らないようなものである。ちょっと違うか。
元死刑囚宅間某のような者が学校に侵入したらどうするって? 地域社会に徹底的に開かれた学校へはむしろ侵入しにくいのではないか。目が届かないからこそ侵入されるのである(泥棒もそうですね)。

公園デビュー(死語?)は社会を閉ざそうとする実にクダラナイ儀式だが、子どものイジメそして自殺は、オトナ社会を忠実に映しているに過ぎない。要するにイジメ問題とはオトナ社会の問題なのであり、オトナ社会のいびつさがそまま表れているだけなのである。アメリカの核実験をスルーして朝鮮の核実験にだけは猛烈に反対しているようなものである。またもやちょっと違うか。
いっそのこと、自殺に追い込んだイジメっ子は「死刑」にしちゃったらどうなのかしらね。イジメっ子とイジメっ子の親と、それからイジメを見てみぬフリをしていた教師は市中引き回しの上磔(はりつけ)獄門にするとかね。みんな死刑が大好きなんだし。

いじめと教育(反骨心ブログ)
この記事へのコメント
あ、、私も最近の子供・いじめ・自殺フィーバーで
公園デビュー という言葉を何故か思い出しました。
えん | 2006/11/15(水) 00:19:58
えんさん>
公園デビューって、いまだにあるんでしょうか。大変そうです。
水瓶座| | 2006/11/15(水) 10:36:02
飼い犬の公園デビューも勇気いるのかな。
シッポ| | 2006/11/17(金) 22:47:00
シッポさん>
お兄さまお姉さま方が「新入り」を厳しく審査するのでしょう、きっと。
水瓶座| | 2006/11/18(土) 10:17:44
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 これから寝ます。今の政治状況を見ているといてもたってもいられない感じですね。
2006/11/11(土) 08:36:42|雑談日記(徒然なるままに、。)
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