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戦中と戦後の間(2)
安倍晋三は「戦後レジームの脱却」を唱えていますが、私のような心配性には、戦後レジームの脱却すなわち“新しい戦前体制をつくる”ことを意味するのではないかと思えてなりません。
しかし現在の日本において戦前を再び迎えるといった心配は杞憂ではないかとの考え方もあるでしょう。かつて日本人を根絶やしにしようとした米とはまずまず良好な関係にある。ですが安倍内閣の政策や閣僚の言動からは新たなる戦前体制づくりのニオイを感じてしまいます。「新たなる」とは申しても登場人物や舞台背景が違うだけで、どうやら“いつか来た道”となるのではないか。

そうした戦前体制づくりの中でもっとも邪魔になるのは自律した市民でありましょう。そうした市民を排斥するためには、より強権をふるう必要があるでしょうし、それと同時に“そうではない市民”を権力の側に迎合させた大衆をつくらねばなりません。そこに見る理想は国家主義=ファッショが究極の形と思われます。

丸山は本書「ファシズムの現代的状況」の中でファシズムを次のように解説しています。
ファシズムは、ある場合には公然たる暴力により、ある場合には議会立法の形を取り、またある場合には教育・宣伝等心理的手段によるなど一切の政治的手段を駆使して、その社会を反革命と戦争の目的のために全面的に組織化しようとする内在的傾向をもつて(ママ)おります。(537頁)
(註:本書で強調点がつけられているところは太字に変えた。以下同)
丸山はこの後ドイツのナチズムを例にあげてさらに説明します。
反対勢力を弾圧したり、言論を抑圧したりするだけなら、古来無数の政治権力がやつて(ママ)来たことで別に珍しくもないのですが、ファシズム的抑圧の特質はどこにあるかというと、第一に、それがなんら積極的な建設や理想目的の達成のための「止むをえぬ害悪」として行われるのではなく、むしろ国内国外の反対勢力の圧服ということ自体が目的化しており、そこから容易にこうした反革命なり戦争なりの組織が組織自体として絶対化されるというニヒリズムが発酵するという点、第二に、その抑圧の仕方が、単に反対勢力をつぶすだけではなく、およそ市民の自発的活動の拠点やとりでとなるグループ結成を妨げ、こうして社会的紐帯からきり離されて類型化されたバラバラな個人を「マス」に再組織するという行き方を多かれ少なかれ取る点、この二点にとくにその顕著な特色が見られるように思います。(538頁)
いつ強行突破されてもおかしくない「共謀罪」「憲法改定」、すでに国家主義の先鞭をつけた「改定教育基本法」、そして「防衛庁『省』格上げ」等々、安倍政権が押し進める戦後レジームの脱却とは、ウーゴ・チャベスの言葉を借りれば「硫黄の臭い」がプンプンしてきます。
(この項、飽きて来たけどまだ続く。)

[ 戦中と戦後の間 ]
丸山真男/みすず書房
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