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さらに・大人問題
さらに・大人問題人生を得々と語るひとがいます。哲学的命題としての人生ではなく、自分はいかに優れた人生を送ってきたか、について。
「あんなに悪かったおれも、今では結婚をしてマイホームを建てて、立派なオトナになった」という手合い。それを自慢に思っている。自慢に思っているだけなら、どうぞご自由に。

私のようにイイ歳(どんな歳だ?)をしてもまだ浮き草のような生活をしている者は、「立派なオトナ」にとって恰好の獲物です。
「いつまでフラフラしているつもりか。早く結婚して、真面目な職業に就いて、生活力をつけて、親を安心させてやらなきゃ駄目だ」なんてご高説を賜ってしまいます。ハイ大きなお世話さま。

立派なオトナ、という「枠」があるのでしょうね。その枠から少しでもはみ出る者は社会から許されません。個人をみて枠をつくるのではなく、あらかじめ用意された枠に個人を当てはめてゆく。
スーパーに並べられたきゅうりと同じ。彩りよく真っすぐ育ったきゅうりしか売り物にはなりません。曲がっていたり虫が食っているものは規格外。良くて無人販売所で「ひと山いくら」と叩き売られるか、そうでなければ生産者が食べる。悪くすれば、棄てられてしまいます。
そもそも、真っすぐなきゅうりしかつくろうとしません。

およそ伝統だの風習だの制度だのというものは、それに従ってさえいれば余計な心配事が少なくて済む、というもの。そこから確信的にはみ出す者は「自己責任」で生きているにもかかわらず、世間の風は冷てぇなあ。

[ さらに・大人問題 ]
五味太郎/講談社文庫
この記事へのコメント
前作の『大人(は、が、の)問題』
は、読みましたが、これは読んでいませんので、どう言っていいものか分かりませんが・・・

私も「曲がったきゅうり」みたいな性格のところがあります(笑)。へそ曲がりなところが相当にあります。だからか、孤独を感じることも多いのです。世間や一般常識というものさしに合わせた生き方をすれば、少しは楽になるのでしょうが・・・

でも、こんな私もたくさんいる人間の1人です。いろんな人間がいるから、この世はおもしろいんだと思うことにしています。
たぶん、それは子どもの方がよく分かっていることなのでしょうが、大人になるにつれて、分別なるものが、ものの見方・とらえ方を狭くさせてしまうのだと、私なりに「大人問題」を感じているところです。
renanaya| | 2007/03/29(木) 12:34:07
renanayaさん>
私は逆で、前作を読んでいないんですっっ。

さて、人間は固体差がすっごく大きい生き物ですけれど、「みんな同じ」ことを求められている圧力、と云いますか空気を感じます。
小学生のとき「てんかん」の男の子が転校してきました。2年間同じクラスでしたが、高学年へ上がるときに、その子は養護学級へ移らされました。だからどうした、と云うことを上手く書けないんですけれど、そんなことがありました。
その頃に、みんなと違うことはイケナイコトという気持ちが芽生えたような気がします。
水瓶座| | 2007/03/30(金) 10:54:00
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