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憲法は血となり肉となっているか──9条と安保理
一昨年7月、当時の外務大臣・町村信孝は国連本部で「常任理事国になれなかったら、国連分担金を削減すべきだという世論が広まるだろう」と子ども並の逆ギレをして日本外交が三流であることを告白した。
米の22%に継ぐ19%の国連分担金は、1000兆円の借金を抱えるこの国には重すぎる負担ではある。町村信孝の逆ギレも分からなくはない。

国連常任理事国入りには頼りの米すら賛成してはくれなかった。さらには日本の国連常任理事国入りに賛成してくれたのがたった3か国だったというみじめ。ODAをいくらばらまいても、である。
世界の尊敬を受けるには戦地で血を流さねばならぬのだ。だから自前の軍隊を持って普通の国になろう。「フツウ」ってナンデスカ?

軍隊を持てば一流国家になれるなどとは、完全な妄想である。しかも朝鮮並みの先軍政治を目指している自称“闘う政治家”安倍晋三は、世界中の笑い者にこそ成りすれ、尊敬されることなど万に一つの可能性もないだろう。金持ちなのにだれからも尊敬されていない。これほどくだらぬ国にしてきたのはだれなのか。
新しい日本のために──発刊のことば

 古い日本は影をひそめて、新しい日本が誕生した。生まれかわつた日本には新しい國の歩み方と明るい幸福な生活の標準とがなくてはならない。これを定めたものが新憲法である。
 日本國民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもつて世界の諸國と交わりをあつくすること。
 新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生きがいのある生活をいとなむための根本精神でもある。まことに新憲法は、日本人の進むべき大道をさし示したものであつて、われわれの日常生活の指針であり、日本國民の理想と抱負とをおりこんだ立派な法典である。
 わが國が生まれかわつてよい國となるには、ぜひとも新憲法がわれわれの血となり、肉となるように、その精神をいかしてゆかなければならない。実行がともなわない憲法は死んだ文章にすぎないのである。
 新憲法が大たん率直に「われわれはもう戦争をしない」と宣言したことは、人類の高い理想をいいあらわしたものであつて、平和世界の建設にこそ日本が再生する唯一の途である。今後われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖國を築きあげてゆかなければならない。
 (後略)

昭和二十二年五月三日
新憲法普及會會長 芦田均

(憲法普及會編『新しい憲法 明るい生活』から/文章は『踊りおどろか「憲法音頭」その消えた謎の戦後』巻末付録から起こした)
日本は戦後のほとんどの期間憲法を「死んだ文章」にしてきたのであり、「われわれの血となり、肉となるように、その精神をいかして」来なかったのではあるまいか。裏返せば、現憲法は“まだまだ若い”のである。
「戦力の放棄」を押し付けられたと云うのならば、押し付けられたことをむしろ強みにすればよい。“我々には9条があるのだ”と。

憲法9条を掲げて国連安保理入りを(安原和雄の仏教経済塾)
憲法9条を掲げて国連安保理入りを 「世界から見た日本国憲法」で各国パネリスト(日刊ベリタ)
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※最初の表題「「反戦な家づくり」さんへ、有志を募って連名で民主党に現憲法、なかで
2007/05/15(火) 15:59:58|雑談日記(徒然なるままに、。)
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