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被害者参加制度
国家による報復殺人の代理としての死刑制度は“観客”の溜飲を下げるために存置されているものではない。極悪人は死刑、これで満足するのは観客だけであり、被害者、遺族が救済されることなどないだろう。極悪人が死んだところで、事件が無かったことにはならぬ。ヒトラーが死んだからといって、裕仁が死んだからといって、被害者が救われたわけではない。ほんの一時、気が収まっただけだろう。

本題。
4日『毎日』にこんな記事があった。同じ被害者遺族ながら「被害者参加制度」の賛否を問うている「『闘論』被害者の裁判参加」(同/魚拓)も合わせて読んでおきたい。
被害者参加制度:被害者と加害者、対話を 「考える会」きょう設立(魚拓)

 自分の弟が殺された事件の加害者と面会し、死刑執行にも反対した愛知県春日井市の原田正治さん(60)が、4日に対話の大切さを訴える団体「被害者と加害者との出会いを考える会」を設立する。国会では遺族らが刑事裁判で被告に直接質問できる「被害者参加制度」の創設を盛り込んだ法案が審議中だが、原田さんは「裁判で対立すれば憎しみが増すだけ。法廷外での対話を望む遺族がいることも知ってほしい」と話している。

 「生きて償ってもらいたい」と考えた原田さんは、死刑が確定して面会を禁じられると死刑執行に反対、面会制限を解くための運動にも取り組んだ。(抜粋)
「被害者参加制度」でもっとも不安を感じるのは、2日の本ブログでも書いたように「推定無罪」「疑わしきは被告の利益に」といった刑事裁判の鉄則をすっかり無視し、警察、検察による“でっち上げ”事件に対してマスコミも市民も何ら疑いなく受け入れるところにある。冤罪は例外、ではないのだ。被害者、遺族が裁判で対決する相手が“真犯人”ではないことを忘れてならない。

真に求められる救済の第一は、被害者、遺族への経済的精神的援助ではないのか。それなくして被害者参加制度によって被告と原告を対決させようとするのは、国家、行政による被害者、遺族救済のサボタージュでしかない。
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なんだかちっともよくわからなかった、犯罪被害者の裁判参加。水瓶座さんのエントリーと、そこで紹介されていた記事を読んで、背筋が寒くなった。真に求められる救済の第一は、被害者、遺族への経済的精神的援助ではないの
2007/06/05(火) 12:23:12|Tomorrow is Another Happy
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