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被告を真犯人へと仕立て上げる
無罪推定、疑わしきは被告の利益に、といった刑事裁判の鉄則は、この国には存在しない。容疑者がすなわち真犯人であると断定する大マスコミの垂れ流し報道をみられよ。しょっぴかれただけで犯人と断定され、容疑者はたちまち社会総出による私刑を受けねばならぬ時代である。
『ささいないさかいがきっかけで衝動的に殺意を抱いたような事態』などが想定できる」だけで、つまり証拠はなくとも有罪判決を下すことすら当たり前となりつつある。

4日『毎日新聞』長野版記事〈松本の女性殺害遺棄:被告「殺したことも遺棄したこともありません」〉の川崎桂吾記者による「解説」は秀逸である。曰く「弁護側は全面的に争う構えだが、どのように検察の主張を崩していくのかは不透明だ」。私は“透明な戦術”を見たことも聞いたこともないし、古今東西そんなものはないだろう。

私は被告が真犯人であるか否かを問題としない。警察・検察の主張を裏づけもなしに活字とする記者のジャーナリズムを疑うのだ。
川崎記者は解説で「弁護側は今回、異例の法廷戦術をとった。証拠約200点のほとんどを不同意としたため、検察側は法廷に証人を呼ぶことを余儀なくされた。その数は62人。長野地検は『極めて異例の数』と話す。期日も来年3月の判決まで十数回続く予定だ。裁判員制度が導入されていたなら、裁判員の負担は相当なものとなっただろう」とも書いているが、それが本当に「異例」なのか、単に長野地検での話しかも知れない。

川崎記者は「裁判員制度が導入されていたなら、裁判員の負担は相当なものとなっただろう」とも解説している。だが裁判員の負担が軽かろうが重かろうが、そんなものは裁判に関係はない。裁判員の負担を軽くする、すなわちサクサク進行することが良い裁判だとでも云うのか。
この記事には裁判員制度の導入をにらんで導入された公判前整理手続を8回実施してなお無罪を主張する被告側からの視点が抜け落ちている。常日頃公正中立を標榜する『毎日』であるのに! いや、警察・検察の証明責任を追求した記事なんぞ見たことがないけれども。だからいつまでたっても第2第3の袴田事件、志布志事件が後を絶たないのだ。
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