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殺して食べる
或おねいちゃん、同僚と結婚することになった。結納を前に、山間の小さな集落にある彼の実家へ挨拶へ行くことに。前にも簡単な挨拶に伺ったことはあるが、今回は泊まり。垢抜けした美人と評判のおねいちゃんを、彼の両親はとても気に入っている。田舎の人間らしく大層なもてなしで迎えてくれた。

ところがおねいちゃん、以前訪れたときにいたウサギのミミちゃん(仮名)の姿がみえないことに気がついた。肥えてはいたものの、いかにもウサギ然とした愛くるしいミミちゃん。それがすっかり形を変えて食卓へドーンと乗っていたのだ。

それが理由で交際は終了。なんと野蛮で残酷な一家なのか! ということらしい。話しを聞いた私は「何のために飼っていたのかといえば、そりゃ食うためだよ。それは大変なご馳走であり、お客への最高のもてなしだったのだ」と云うが、ペットを食べるなんて信じられない! と来る。いや、だから、田舎の家で飼っている鶏やウサギは愛玩動物ではないのだよ。

今どきの寿司屋ではマグロの解体ショーなるコトをお客に見せるらしい。ならば牛の解体ショーをする焼肉屋があってもよさそうなものだが、そのような店は“なぜか”ない。牛だって血抜きをしておけば「ショー」は出来るだろう。

この国の食糧自給率は40%。ならば60%の国民は飢えて死んでもよさそうなものだが、なぜかそうはならない。それどころかメタボに恐れおののく国民の多いことったら。

今どきは「給食費を払ってるんでござーますから、宅のボクちゃんに『いただきます』を云わせるのはおやめくださいませんコト?」と学校へねじ込むPTAもいるのだとか。いただきますとは“あなたの命を私の命に代えさせていただきます”なのだがなあ。宗教ぽいが、そうなんである。

本ブログで以前「小学校の修学旅行で屠殺場を訪れたらどうかと考えている。『食う』とは何か、そして『命』とは何かを学ぶに最も適した場所が屠殺場である」と書いた(参照)。産地ばかりを気にしても仕様がないぞ。

『毎日』で3回にわたって連載された《肉はどこから:いのちと向き合う》は良い記事だった(魚拓)。主題は「屠殺」に向けられているところがなかなか無い視点である。
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