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スタンドアップ
ぼんやり観てしまうと“職場のセクハラに立ち向かった女性の記録”とでも云っただけの印象を受けてしまうが、本作の主題は別のところにもあると思う。主演のシャーリーズ・セロンはインタビューで「男性社会で働く女性たちが直面する苦悶と同時に、男と女が生き残りをかけて戦っている切実な生存競争でもある」(パンフレットから)と答えている。
私が本作を観てもっとも感じたのは一社員(個人)対会社という初めから勝負は見えている図式における周辺者のありように対して。これはセクハラだけに限ったことではない。『週刊金曜日』590号の鎌田慧ルポもこうした問題のひとつだろう。声を上げるのはそうむづかしいことではない。だがそれを持続させるのは非常にむづかしい。そして周辺者の反応。

スタンドアップひとを使うのはもちろんひとに使われるのも上手でない私は、会社に雇われていた頃は上役とよくぶつかった(それは正義などではなく「おれは気に入らない」といった個人的感情によるものに過ぎなかったが)。
周りの反応が面白い。私が上役と衝突している最中にはみんな知らんぷりを決め込む。しかし衝突後には「よくぞ云ってくれた」「本当はみんなそう思ってた」などと云って私を応援(?)してくる。

──はあ? なんでそのとき一緒に声を上げないの?

佐高信さん云うところの「社畜」となれなかった私は、ひとりの上役から会社そのものを相手にせざるを得なくなり、結局クビになるのだった。
一社員(個人)対会社という問題を少し乱暴に膨らませれば「一市民対国家」ということにだってなる。イラクで誘拐された者への「自己責任」や「違法」とされた反戦ビラ撒きはその一例だろうと思う。「傍観者」は結果的に会社や国家の「無責任」に加担している。

本作を観る上での心構えと云えそうな「自分の言葉を持つということ」と題されたノンフィクションライター最相葉月さんの一文を引いておこう(本作パンフレットから)。
 この映画はだから、セクシャル・ハラスメントや家庭内暴力の映画でもなければ、シングル・マザーの自立や男女平等を謳うものでもない。もちろんそういう社会派的な型を読み取ることも可能だけれど、そんなふうにくくるだけではもったいない。それより、人としてあたり前に生きるために、今よりも少しだけ見晴しをよくするために、階段を一段だけ上がってみること。心を決めた瞬間、人が、人の心にしっかりと届く言葉を持てるということ。どんな不意打ちをくらっても、跳ね返すことのできるだけの言葉を持てるということ。その素晴らしさ。それがこの映画を見て、一番私の胸に迫ってきたことだ。
[ スタンドアップ ](2005年/米国/R-15指定)
原題:North Country
監督:ニキ・カーロ
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
出演:シャーリーズ・セロン/フランシス・マクドーマンド/ウディ・ハレルソン/ショーン・ビーン/他
物語★★☆☆☆ 映像★☆☆☆☆ 娯楽★☆☆☆☆ 配役★★★☆☆ 音楽★★☆☆☆
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