スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
皇室典範改正、ではなく
皇室典範改正、ではなくさっと立ち読みしただけなので正確には覚えていないのだが、鈴木邦男さんが最新刊の『サイゾー』で「女系か男系かの議論は活発だが天皇制そのものの是非を問う声が聞こえてこない」というようなことを述べていた。
そりゃそうでしょう。社民党はトンちゃんが総理大臣になったときに、共産党は不破・志位体制になったときに、あるものは仕方がないと現象学的に認めたのだから「天皇制いらない」という大きな声が上がるはずはないのだ。

さて、皇室典範改正に向けた動きが女系天皇反対派によって活発になっている。が、私は天皇制あるいは天皇そのものが必要であることの極めて明快かつ論理的な説明にお目にかかったことがない。にもかかわらず悠久の歴史の中で天皇制が存在し続けたのは、
天皇制についても、きわめて日本的な(従ってあるいは独創的な)政治作品を見るのである。天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。社会的に忘れられた時にすら政治的に担ぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家たちの嗅覚によるもので、彼らは日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。(『堕落論』集英社文庫版)
ということなのだろう。

麻生太郎は「(戦死者は)天皇陛下のために万歳と言ったのであって、首相万歳と言ったのはゼロだ。だったら天皇陛下が(靖国神社を)参拝なさるのが一番だ」と云ったが、「神」であるはずの天皇(敗戦処理の便宜上「人間」になっただけ)が臣民を参るなど本来はおかしい。麻生発言を卑俗な云い方にすれば「靖国へ行って、アンタのために死んだ連中へ頭(こうべ)を垂れてこい」である。時代が時代なら「不敬罪」ではなかろうかと思うのだが。これは余談。

本題に戻ろう。私が天皇制に反対する理由はただひとつ、「不要=無用」である。
この国が敗戦後の目覚ましい復興を遂げたのは天皇陛下のお陰だと宣う者がいる。この国の復興はおとっつあんおっかさんが汗水垂らしたお陰であって、「あ、そう」しか云わぬジイさんがカゴメウミヒドラ科のClathrozonidaeのヒドロ虫類を研究していたからでは断じてない。要するに天皇などというものはごく一部の万歳教徒以外の者にとってはまったくもっていなくてもよい存在だったのである。

たとえば、池田大作を税金で養っているとしたら納税者はどう思うだろうか。“それ”をありがたがるのは精神の問題であり、すなわち極めて宗教的な現象である。
これまでに何度も書いてきたが、さっさと宗教法人にしてどこぞの山奥で教徒からのお布施で生きて行けばよい。そうしてY染色体も側室も靖国参拝も思う存分好き勝手にすればよいのだ。誰も文句は云わぬ。
この記事へのコメント
多子化問題
臣民の少子化問題をなおざりして、多子化問題が発生ですね。また産まれると、その分税金から賄われる。
Matty| | 2006/02/08(水) 11:30:00
コメントを投稿する





秘密: 管理者にだけコメントを表示させる
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック(本ブログURLを含まないTBは制限されています)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。